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Mickey Baker/The Blues And Me

Mickey Baker/The Blues And Me 
1974年 アメリカ
『違いが分からない男のブルース・レビュー24』

 今回、取り上げるブルース・マンはミッキー・ベイカー。
ミッキー・ベイカーは1925年、ケンタッキー州ルイビルにて生まれました。
1936年に孤児院に入れられた彼は頻繁に脱走。
セントルイス、ニューヨーク、シカゴ、ピッツバーグなど、
各地の施設に送られては脱走を繰り返していたそうです。
ニューヨークで食器洗いの仕事を見つけた後は、一時落ち着いていました。
しかし、やがてビリヤードで稼ぐことに憧れ、仕事を辞めてしまいます。
19歳の頃、チャーリー・パーカーに感銘を受けたミッキーはトランペット奏者になるため、
いやトランペットを購入する為、皿洗いの仕事に復帰。
14ドル貯めることは出来たものの、それだけではトランペットは買えず、妥協してギターを購入することに。
その後、彼はニューヨークの音楽学校に入学。
しかし授業について行けずドロップアウト。
自宅学習もうまく行かないミッキーが頼ったのはストリート・ミュージシャン。
彼らの指導により、ジャズ・ギタリストとしての腕を磨きました。
24歳(1949年)になったミッキーは、いくつかの仕事を掛け持ちしながら、
自身のジャズ・コンボで音楽活動を続けていました。
ジャズ・コンボの活動を更に充実させるため、カリフォルニアに移ったミッキー。
しかし観衆は全く彼のジャズに興味を示してはくれません。
途方にくれていたある日、たまたま観ていたピー・ウィー・クレイトンのライブ。
そこで彼の白いエルドラド(キャデラック)と、バンドの為の大きなバスを見て衝撃を受けたのです。
1976-cadillac-eldorado-1.jpg

「ジャズなんてやっていたら、のたれ死んでしまう。これからはブルースだ。」みたいな感じでしょうか。
再び働いてお金を貯め、ピー・ウィー・クレイトンの研究をした後に、
彼のいない土地で稼ぐべくミッキーはニューヨークに戻ったのでした。
(修行して独立するラーメン職人みたいですね)
東に戻った後のベイカーはサヴォイやキング、アトランティック
といったレーベルでのセッション・プレイヤーとして数々のレコーディングに参加。
ドリフターズやレイ・チャールズ、ルース・ブラウン、ビッグ・ジョン・ターナー、
ルイ・ジョーダンという面々のセッションに携わり、一流セッション・プレイヤーとして地位を固めます。
そして1956年に恋人とのデュオ、ミッキー&シルヴィアを結成。
ヒット曲「Love Is Strange」を生み出します。
その後、ベイカーはフランスへ移住。
そちらではフランソワ・アルディやシルヴィ・バルタンのセッションに参加していたそうですが、
次第に音信も途絶えてしまったとのこと。
Mickey-Baker1-300x300.png

 個人でのリリースは少ない彼ですが、本作はその少ないアルバムの一つ。
フランス移住後の74年に、来仏してきたブルース・プレイヤー達と共演したアルバムだそうです。
歌入りのルーズなブルースをやっています。
初期の頃のような豪快な速弾きこそないものの、ダイナミックなフレージングで聴き応え十分。
フランスではシャンソンのバック・ミュージシャンで稼いでいただけに、
楽しそうに演奏している姿が目に浮かぶようです。
それにしても生い立ちを書いているだけでも、面白い人生でした。

Mickey Baker - Kansas City
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Lonnie Mack/Lonnie On The Move

Lonnie Mack/Lonnie On The Move
1992年編集 アメリカ
『違いが分からない男のブルース・レビュー23』

 今年は大物ミュージシャンの訃報が次々に伝えられています。
そんな中、ロニー・マックという人物の訃報も届いていました。
4月21日(プリンスと同じ日だ)に74歳で亡くなられたとのこと。
勉強不足なわたしは全く彼のことを知りませんでした。
そこで今回の記事を書くことになりました。

 1941年インディアナ州ハリスバーグ生まれ。
青春時代(1950年代)にはカントリー・バンドを組んでいました。
ところがある日、ロカビリー、ロックンロールの洗礼を受けて、大いに感化されたロニー・マック。
そこからロカビリーのギター・スタイル(速弾きでのリフ)を受け継いだ
ブルース・インストを演奏することになりました。
1963年には「Wham」(5位)「Memphis」(24位)という二つのインスト曲を
シングルで発表してヒットを記録。
ただその後が続かず。
ブルーアイドソウルっぽいアルバムを出したり、A&Rとしてミュージシャンを発掘したり、
と苦労していたようです。
その後、トラック運転手になった彼を再びシーンへと復帰させたのが、スティーヴィー・レイ・ヴォーン。
1963年のインスト2曲によってブルース・ロックに目覚めたスティーヴィー。
彼のリスペクト、バックアップのもと制作されたアルバム「Strike Like Lightning」を発表。
1985年のことでした。
以降、1990年までコンスタントにアルバムを発表しています。

 ジェフ・ベックやクラプトンへの影響も大きいと言われる、ブルース・ロックの始祖の一人。
近年は様々な表彰の場や、アルバムへのゲスト参加くらいしか、活動していなかったようです。
lonnie-mack2.jpg
ギターがフライングVってところもポイント。

 「Memphis」と「Wham」を聴いてみました。
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Earl Hooker /The Genius of Earl Hooker

Earl Hooker /The Genius of Earl Hooker
1968年 アメリカ
『違いが分からない男のブルース・レビュー22』

 アール・フッカーはジョン・リー・フッカーの従兄として知られるブルース・ギタリスト。
レッド・ツェッペリン・ファンならば、「You Shock Me」の元となった曲を作り、
ジミー・ペイジに絶大な影響を与えたギタリストということでご存知の方も多いはず。

 1929年ミシシッピに生まれた彼は、
シカゴへ移住後ロバート・ナイトホークのブルースに感銘を受け、ギタリストを志します。
やがてロバート・ナイトホークの得意とするスライド・ギターをマスター。
60年代からスタジオ・ミュージシャンとして、マディ・ウォーターズやジュニア・ウェルズ、
サニー・ボーイ・ウィリアムスン等のセッションに参加しました。
earlhookerbobby.jpg

歌とギターのスタイルだったジョン・リー・フッカーとは異なり、
ヴォーカルは控えめなアール・フッカー。
ほとんどの楽曲がギター・インストとなっています。
特段、歌が下手ということではないので、やはりギターを弾いていたいということなのでしょう。
60年代後半から自身の録音したものを集めた編集アルバムを何枚かリリースするのですが、
肺結核に掛かってしまい、残念ながら1970年に41歳という若さで亡くなってしまいました。
本作は編纂されたアルバムの中では最も初期の録音が聴ける、
キューカ(Cuca)レーベルの作品。
1964年から67年の音源がまとまっています。

プレイスタイルの特徴はやはりスライド・ギター。
ロバート・ナイトホーク・スタイルということで、単弦で表情豊かな音色を生み出すテクニックが凄い。
加えて新しい技術にも関心を示し、ワウペダルやピックアップ・スイッチを使いこなし、
変幻自在なギター・ソロを生み出したのです。
ブルース・ギターの発展に大きく貢献。
感情豊かなギター・インストにはブルース・ファンなら例外なくしびれることでしょう。

Off The Hook
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Barbecue Bob/ Rough Guide to Barbecue Bob

Barbecue Bob/ Rough Guide to Barbecue Bob
1920年代 アメリカ
『違いが分からない男のブルース・レビュー21』 

 かなりブランクを空けてしまいましたが、久しぶりのブルース・レビューをお楽しみいただければと思います。

 1920年代、アトランタのブルースをブラインド・ウィリー・マクテルと共に支えていた人物。
それが本日の主役、バーベキュー・ボブです。
バーベキュー・ボブは気ままに放浪暮らしを続けた自由人で、
自動車の修理工やシェフといった仕事に付きながら、お客さんの前で歌う、という生き方をしていたそうです。
12弦ギターはテキサスを訪れた際、レッド・ベリーより教えを受けたことによる影響とのこと。

 バーベキュー・ボブはアトランタのブルース・シーンを物色していたコロンビアによって発見され、
1920年代後半に60曲ほどの録音を残したそうです。
そして1930年、最後のレコーディングの数か月後に死去。まだ29歳という若さでした。
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 師匠にあたるレッド・ベリーと比べると、バーベキュー・ボブには毒がありません。
より愛敬を振りまいた親しみやすいラグタイム・ナンバーを得意としています。
振り絞るような豪快な歌声と、ボトルネックを用いたスライド奏法が彼の個性。
戦前ブルースの並み居る技巧派ギタリストたちに飲まれて、
あまり語られることのないブルースマンですが、
ブルースに軽やかなポップさを持ち込んだ彼の功績は大きいです。

 ちなみに彼の代表作として、
エリック・クラプトンがカバーした「マザーレス・チャイル・ブルース」という曲があります。
クラプトンがカバーして、何度目かの再発見のきっかけになったということですね。

 本作はバーベキュー・ボブがコロンビアに残した楽曲群から選りすぐったベスト盤です。

Spider and the Fly
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Koko Taylor/ South Side Lady

Koko Taylor/ South Side Lady
1973年 アメリカ
『違いが分からない男のブルース・レビュー⑳』 

今回はこのコーナーで初となる、女性ブルース・シンガーを取り上げます。
自分の棚にも“ブルースの母”ことマ・レイニーを始め、“ブルースの皇后”ベッシー・スミス
ジャズ・ヴォーカルから転身したヘレン・ヒュームズなどのアルバムがありますが、
やはり圧倒的に少ない状況。
黒人労働者の歌、という側面からも仕方ないところでしょう。
今回初めて聴くココ・テイラーは“シカゴ・ブルースの女王”と呼ばれている人で、
どうやら先述した三人よりも若い世代のシンガーに当たるようです。

 1928年、テネシーで生まれたココ・テイラー。
実家の農作業を手伝う傍ら、
教会でゴスペル音楽に出会うことを切っ掛けに歌うことに目覚めます。
トラック運転手の夫(後にマネージャー)と結婚した1953年にシカゴへ移住。
以来、ナイトクラブでR&Bを歌っていた彼女ですが、
ある日ラジオから流れてくるBBキングに共鳴し、
ブルース・シンガーを志すことに。そして時は流れて1962年、
ウィリー・ディクソンが彼女を発見します。
1963年にはUSAよりレコードを発売し、シンガーとしての活動をスタート。
1965年にはR&Bヒット「ワン・ダン・ドゥードル」を発表。認知度を一気に高め、
以後チェス、アリゲーターとレーベルを渡ってアルバムを発表し続けました。
2009年消火器系の手術を受け、術後の合併症により亡くなったとのことです。
kokot.jpg

 唸るようなパワフルなシャウトが特徴のシンガーで、
堂々たる存在感はさすがにウィリー・ディクソンが目を付けるのも納得。
ただし彼女の作品群の魅力はそれだけは終わりません。
ウィリー・ディクソンのサポートを得たUSA~チェス時代、
ブルースの女王として確固たる地位を築いたアリゲーター時代、
とそれぞれの時代に於いて強力なサポート・ミュージシャンが起用されており、
一級のシカゴ・ブルースを堪能できるのです。
バディ・ガイ、B.B.キング、マーヴィン・ハインズ、パイントップ、サミー・ローホンなど
時代を代表する錚々たるメンツは圧巻。
このあたりは紅一点的存在でシカゴ・ブルース全体からバックアップを受けていた強みでしょう。
ちなみに晩年にあたる2001年からはメイン・ギタリストとしてシカゴ在住の日本人、
菊田俊介が起用されていました。

 さて本作はチェスからアリゲーターへ契約が変わる間にエヴィデンスよりリリースされたアルバム。
A面がフランスでのスタジオ録音、B面がオランダでのライブ録音となっています。
当時シカゴ・ブルース最強のリズム・コンボと謳われたジ・エイシズを始め、
ギターにジミー・ロジャース、ピアノにウイリー・メイボンという強力な体制での録音。
初期ならではの若さ漲るシャウトの荒々しさ、ドライブ感溢れる演奏でグイグイ惹きこまれる名演です。

「I Love A Lover Like You & What Kind Of Man Is This」
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