Lowell Fulson/Reconsider Baby: The Complete Checker Singles 1954-1962

Lowell Fulson/Reconsider Baby: The Complete Checker Singles 1954-1962
1950年代 アメリカ
『違いが分からない男のブルース・レビュー25』

 2016年6月以来のブルース記事、ついに復活。本日はロウエル・フルソンを取り上げます。

●経歴
 1921年、オクラホマ州タルサ生まれ。10代の頃からタップ・ダンサーとして活動しており、音楽に理解のある家庭で育ったとのこと。尚、この頃にはテキサス・ブルース・スタイルのバンドに参加していました。成人した1940年代にカルフォルニアへ移住。これを機にブルース・シンガーとしての活動を開始します。彼は時代毎に音楽性を変えています。まず初期(45年~50年頃)は地元カルフォルニア周辺のレーベル(複数)での伝統的なテキサス・ブルース。続いて中期(50年~64年)にはチェッカー・レーベルに移籍。ピアノ、サックスを加えたバンドを結成し、スロー・テンポのブルースを指向しています。ここでは自身のルーツであるゴスペルの要素が加わっているのも特徴。同じく中期の後編としてメジャー・レーベル、ケントに移籍していた時代があります。(64年~)ロックンロール誕生期にあたる、この時期ではビートを強調したブルース・ナンバーでヒットを生んでいます。以後も地道な活動を続けており、1980年には来日公演も実現しています。1999年にカリフォルニア州ロングビーチにてなくなったとのこと。戦後モダン・ブルースの歴史を作った一人です。尚、B.B.キングに影響を与えたブルースマンとしても知られており、B.B.キングは「眠れる巨人」と称していたそうです。

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50年代のロウエル・フルソンと言えば、この写真で決まりだ!笑顔が決まっています。

●チェッカー・レーベルでのロウエル・フルソン
先に書いたように、この頃の彼は弾き語りからピアノ、サックスを加えたバンドへと表現方法を変えています。ピアノはロイド・グレン、アルト・サックスはアール・ブラウンが担当。ソウル、ゴスペルの要素も多く含んだスロー・ブルースが中心です。歌、ギター共に派手さはありません。バンドとしてのサウンドを重視しており、あまり前に出ないのも特徴。ただし、生活感の滲み出る泥臭くもソウルフルな歌唱、ロープ・ギターと自称するザクザクとうねるギター、ともにインパクト十分。ここぞという時の存在感は十分です。曲は技巧で聴かせるというよりはムードを重視しており、ポップなものが多い印象。ゴージャスな雰囲気満点のねっとりとしたサックスと、穏やかに跳ねるピアノも、素晴らしい。

Reconsider Baby
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Mickey Baker/The Blues And Me

Mickey Baker/The Blues And Me 
1974年 アメリカ
『違いが分からない男のブルース・レビュー24』

 今回、取り上げるブルース・マンはミッキー・ベイカー。
ミッキー・ベイカーは1925年、ケンタッキー州ルイビルにて生まれました。
1936年に孤児院に入れられた彼は頻繁に脱走。
セントルイス、ニューヨーク、シカゴ、ピッツバーグなど、
各地の施設に送られては脱走を繰り返していたそうです。
ニューヨークで食器洗いの仕事を見つけた後は、一時落ち着いていました。
しかし、やがてビリヤードで稼ぐことに憧れ、仕事を辞めてしまいます。
19歳の頃、チャーリー・パーカーに感銘を受けたミッキーはトランペット奏者になるため、
いやトランペットを購入する為、皿洗いの仕事に復帰。
14ドル貯めることは出来たものの、それだけではトランペットは買えず、妥協してギターを購入することに。
その後、彼はニューヨークの音楽学校に入学。
しかし授業について行けずドロップアウト。
自宅学習もうまく行かないミッキーが頼ったのはストリート・ミュージシャン。
彼らの指導により、ジャズ・ギタリストとしての腕を磨きました。
24歳(1949年)になったミッキーは、いくつかの仕事を掛け持ちしながら、
自身のジャズ・コンボで音楽活動を続けていました。
ジャズ・コンボの活動を更に充実させるため、カリフォルニアに移ったミッキー。
しかし観衆は全く彼のジャズに興味を示してはくれません。
途方にくれていたある日、たまたま観ていたピー・ウィー・クレイトンのライブ。
そこで彼の白いエルドラド(キャデラック)と、バンドの為の大きなバスを見て衝撃を受けたのです。
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「ジャズなんてやっていたら、のたれ死んでしまう。これからはブルースだ。」みたいな感じでしょうか。
再び働いてお金を貯め、ピー・ウィー・クレイトンの研究をした後に、
彼のいない土地で稼ぐべくミッキーはニューヨークに戻ったのでした。
(修行して独立するラーメン職人みたいですね)
東に戻った後のベイカーはサヴォイやキング、アトランティック
といったレーベルでのセッション・プレイヤーとして数々のレコーディングに参加。
ドリフターズやレイ・チャールズ、ルース・ブラウン、ビッグ・ジョン・ターナー、
ルイ・ジョーダンという面々のセッションに携わり、一流セッション・プレイヤーとして地位を固めます。
そして1956年に恋人とのデュオ、ミッキー&シルヴィアを結成。
ヒット曲「Love Is Strange」を生み出します。
その後、ベイカーはフランスへ移住。
そちらではフランソワ・アルディやシルヴィ・バルタンのセッションに参加していたそうですが、
次第に音信も途絶えてしまったとのこと。
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 個人でのリリースは少ない彼ですが、本作はその少ないアルバムの一つ。
フランス移住後の74年に、来仏してきたブルース・プレイヤー達と共演したアルバムだそうです。
歌入りのルーズなブルースをやっています。
初期の頃のような豪快な速弾きこそないものの、ダイナミックなフレージングで聴き応え十分。
フランスではシャンソンのバック・ミュージシャンで稼いでいただけに、
楽しそうに演奏している姿が目に浮かぶようです。
それにしても生い立ちを書いているだけでも、面白い人生でした。

Mickey Baker - Kansas City
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Lonnie Mack/Lonnie On The Move

Lonnie Mack/Lonnie On The Move
1992年編集 アメリカ
『違いが分からない男のブルース・レビュー23』

 今年は大物ミュージシャンの訃報が次々に伝えられています。
そんな中、ロニー・マックという人物の訃報も届いていました。
4月21日(プリンスと同じ日だ)に74歳で亡くなられたとのこと。
勉強不足なわたしは全く彼のことを知りませんでした。
そこで今回の記事を書くことになりました。

 1941年インディアナ州ハリスバーグ生まれ。
青春時代(1950年代)にはカントリー・バンドを組んでいました。
ところがある日、ロカビリー、ロックンロールの洗礼を受けて、大いに感化されたロニー・マック。
そこからロカビリーのギター・スタイル(速弾きでのリフ)を受け継いだ
ブルース・インストを演奏することになりました。
1963年には「Wham」(5位)「Memphis」(24位)という二つのインスト曲を
シングルで発表してヒットを記録。
ただその後が続かず。
ブルーアイドソウルっぽいアルバムを出したり、A&Rとしてミュージシャンを発掘したり、
と苦労していたようです。
その後、トラック運転手になった彼を再びシーンへと復帰させたのが、スティーヴィー・レイ・ヴォーン。
1963年のインスト2曲によってブルース・ロックに目覚めたスティーヴィー。
彼のリスペクト、バックアップのもと制作されたアルバム「Strike Like Lightning」を発表。
1985年のことでした。
以降、1990年までコンスタントにアルバムを発表しています。

 ジェフ・ベックやクラプトンへの影響も大きいと言われる、ブルース・ロックの始祖の一人。
近年は様々な表彰の場や、アルバムへのゲスト参加くらいしか、活動していなかったようです。
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ギターがフライングVってところもポイント。

 「Memphis」と「Wham」を聴いてみました。
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Earl Hooker /The Genius of Earl Hooker

Earl Hooker /The Genius of Earl Hooker
1968年 アメリカ
『違いが分からない男のブルース・レビュー22』

 アール・フッカーはジョン・リー・フッカーの従兄として知られるブルース・ギタリスト。
レッド・ツェッペリン・ファンならば、「You Shock Me」の元となった曲を作り、
ジミー・ペイジに絶大な影響を与えたギタリストということでご存知の方も多いはず。

 1929年ミシシッピに生まれた彼は、
シカゴへ移住後ロバート・ナイトホークのブルースに感銘を受け、ギタリストを志します。
やがてロバート・ナイトホークの得意とするスライド・ギターをマスター。
60年代からスタジオ・ミュージシャンとして、マディ・ウォーターズやジュニア・ウェルズ、
サニー・ボーイ・ウィリアムスン等のセッションに参加しました。
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歌とギターのスタイルだったジョン・リー・フッカーとは異なり、
ヴォーカルは控えめなアール・フッカー。
ほとんどの楽曲がギター・インストとなっています。
特段、歌が下手ということではないので、やはりギターを弾いていたいということなのでしょう。
60年代後半から自身の録音したものを集めた編集アルバムを何枚かリリースするのですが、
肺結核に掛かってしまい、残念ながら1970年に41歳という若さで亡くなってしまいました。
本作は編纂されたアルバムの中では最も初期の録音が聴ける、
キューカ(Cuca)レーベルの作品。
1964年から67年の音源がまとまっています。

プレイスタイルの特徴はやはりスライド・ギター。
ロバート・ナイトホーク・スタイルということで、単弦で表情豊かな音色を生み出すテクニックが凄い。
加えて新しい技術にも関心を示し、ワウペダルやピックアップ・スイッチを使いこなし、
変幻自在なギター・ソロを生み出したのです。
ブルース・ギターの発展に大きく貢献。
感情豊かなギター・インストにはブルース・ファンなら例外なくしびれることでしょう。

Off The Hook
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Barbecue Bob/ Rough Guide to Barbecue Bob

Barbecue Bob/ Rough Guide to Barbecue Bob
1920年代 アメリカ
『違いが分からない男のブルース・レビュー21』 

 かなりブランクを空けてしまいましたが、久しぶりのブルース・レビューをお楽しみいただければと思います。

 1920年代、アトランタのブルースをブラインド・ウィリー・マクテルと共に支えていた人物。
それが本日の主役、バーベキュー・ボブです。
バーベキュー・ボブは気ままに放浪暮らしを続けた自由人で、
自動車の修理工やシェフといった仕事に付きながら、お客さんの前で歌う、という生き方をしていたそうです。
12弦ギターはテキサスを訪れた際、レッド・ベリーより教えを受けたことによる影響とのこと。

 バーベキュー・ボブはアトランタのブルース・シーンを物色していたコロンビアによって発見され、
1920年代後半に60曲ほどの録音を残したそうです。
そして1930年、最後のレコーディングの数か月後に死去。まだ29歳という若さでした。
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 師匠にあたるレッド・ベリーと比べると、バーベキュー・ボブには毒がありません。
より愛敬を振りまいた親しみやすいラグタイム・ナンバーを得意としています。
振り絞るような豪快な歌声と、ボトルネックを用いたスライド奏法が彼の個性。
戦前ブルースの並み居る技巧派ギタリストたちに飲まれて、
あまり語られることのないブルースマンですが、
ブルースに軽やかなポップさを持ち込んだ彼の功績は大きいです。

 ちなみに彼の代表作として、
エリック・クラプトンがカバーした「マザーレス・チャイル・ブルース」という曲があります。
クラプトンがカバーして、何度目かの再発見のきっかけになったということですね。

 本作はバーベキュー・ボブがコロンビアに残した楽曲群から選りすぐったベスト盤です。

Spider and the Fly
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